果たしてセックスなしが純愛なのか?

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すべての求めて止まない非日常は
確かな日常の上に成り立っている。

終わった恋を偲ぶ。
そんな日々があっても良い。

愛を恋や憎しみで割っても、
特に何かに変化するわけでもない。

わたしたちは愛に愛を必死に注いでは、
ステアして割り切れない気持ちを作りあげている気がする。

もしも純愛が、

恋愛からセックスを取り除いたものだとすると、
セックスは不純なもの、悪でならなければいけない。
 

「片想いが趣味なの」
と、必ず学生時代の合コンで言う、真理子ちゃんという友人がいた。

モテる女はなんたるかを心得ていて、
「それと休日は料理の勉強と、お姉ちゃんとエステに通っているの」
と、デートを焦らすテクニックまで持ち合わせていた。
 

ふんわり巻いたロングヘアで、
いつも白っぽいワンピースを着ていた記憶がある。
その時期わたしは「話さなければモテるのに」と言われていて、
真理子ちゃんと服装とか髪型とか雰囲気が似ていると、
しょっちゅう比較されていた。

だからどこかでわたしは真理子ちゃんのことが嫌いだったけれど、
それは羨ましいという、一種の嫉妬からくるものだったのだと思う。

だって常に両想いじゃないと、わたしはなんだか物足りなかったから。
 

最近になって思うのだけれど。

「片想いが好き」と言うと可愛いとされるのに、
「セックスが好き」と言うとビッチだと言われてしまうのは
セックスとかそのあたり諸々が不純であると、
どこかで刷り込まれている気がしてならない。

大真面目に
「趣味は彼と休日にするセックスです」でも良いと思っている。
 

ただ単に快楽を求めるセックスは麻薬と一緒で背徳感から興奮を得る。
だから興奮材料として、性行為はきっとずっと悪でならなければならないのだ。

「恋愛」プラス「セックス」イコール「純愛」

そんな方程式が市民権を得てしまうのは、
まだまだ許されないままで良い。

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